わたくしぽんこつ、頭がマジで悪いです。
常に絶望してるし、希死念慮が止まりません。
齢12から毎日一回はしにたいの儀式やってます。
社会不適合感に打ちひしがれてます。10年以上毎日。
それでも、その絶望感を忘れて解放される瞬間って
存在するにはしたんですが
もう今は無いです。ほんと無いです。
ライブには行けないし
最後の頼みの綱である絵も、まったく描けなくなった。
なぜかわからんが、創作活動ができなくなった。
なにかを創ってクリエイトな瞬間だけ唯一、アドレナリンどっびゃあああひゃっはあああの勢いで楽しかったんだけど。
そういう瞬間が、無いです。皆無です。
しにた。
なんとなくしにたい、消えたい、とかじゃなくて
ほんと、しにたいですね。
でもね、今関わってる人や過去関わった人にトラウマ残すなぁと考えたら
自分ごときがそんなね、悪影響を人に与えるわけにいかんというか
ただでさえ存在してるだけで悪影響なのにさ
だから、そんな義務感で、息を殺しながら、生きてはいるわけなんですが。
でも、生きてる限り、ずっとこの地獄は続くと思います。絶望感が無くなることはないと思います。
そういう性格だから。
どうにか足掻きながら、周りの「普通」に指先だけでもひっかかるように
振り落とされてしまわないように
どうにもならない絶望感をネット上の創作物と、誰かが吐いてる愚痴に共感して、傷を「埋める」なんて言えない、痛みを麻痺させるだけだ。
「普通」になる方法を検索して、試して、できなくて、くじけて、諦めて
ただのなんにもないダメ人間として
とにかく人を傷つけないようにだけ頑張れば
と思ってるのに、生きてるだけで人を不快にさせるのは何でなんだ。
誰だっけ、フロイトさんだったかな。
うまいこというなぁと思いました。
人は『死』に向かう欲があると。タナトス、だったかな。
不思議ですよね、みんなエロい話は好きなのに、死にたい話はタブーです。
エロスや性欲は一般的なのに、なんで死に対する欲については話せないんでしょう。
その理由は考えるまでもなく、日々生活してるだけでひしひしと身に染みてます。たぶんそれは、タナトスが「一般的」ではないからだ。私が毎日死を考えていても、普通の人はそうでないんだろう。じゃないと、このずっとあるなんとなくの矛盾の説明ができない。矛盾がここに存在してるってことは、そうだ。
グロいのは好きでないです。痛いのは一番嫌です。でもタナトスはあります。
なんだろう、非現実的だからなのか。
自分の人生を自分で舵をとることができないとわかってから、こんな思考になったと思う。
自分の理想は一生叶わないのがつらい。日々擦り減らして疲れることしかできない。
生物の本能としては「生きる」のが一番の目的なはずなのに
なぜこんなにしにたいと思ってしまうのか。
その時点で、どうしようもない欠陥品である。
別にこれを心地よいとは思っていない。ただの泣き笑いである。
「職場の上司のあたりがきつくてさぁ…」という吐露と同じである。
希死念慮を無くしたい。ずっと願ってるのに10年以上も無くなってくれない。
無くす方法をずっと調べてるけど、なんか、どうにもならないらしい。
30になっても40になっても続くらしい。
40ぐらいになったら、ちょっと生きやすくはなるみたいだが。
でもそれは、苦労に苦労を重ねた結晶なんじゃないかと思うから、なんか嫌だ。
希死念慮を無くす方法、何かありませんかね?
そうなると「自分を受け入れろ」みたいになる記事をよく見ますが
いまいちよくわかりません。
受け入れているつもりです、自分くそポンコツ人間だし、希死念慮止まらないし、何事も投げやりだし。
でもダメじゃん、それじゃ。
何もせずに家に3年ぐらい誰とも会わずに引きこもって暮らすとか、できないでしょ?不可能じゃん?
お金ないし、世の陰口にさらされるし、そんなね、世は優しくないから。その辺のコンビニに食料調達するのだけでも、お風呂入ってから行かないと不潔で臭いから迷惑だし。
仮に引きこもっててコンビニに食べ物買いに行ったら、たぶん、コンビニで働いてる店員を見て、申し訳なくなって絶望する。
自分にはコンビニの店員とかできないし、接客するだけでも気持ちガタガタだから、その負荷を与えてる罪悪感とか、この人働いてるのに自分働いてないクズでごめん、やっぱしのう、みたいな。また罪悪感に苛まれて、より強烈な希死念慮に悩まされることになる。
だから、普通のお店とかね、全部セルフレジにしてもらいたいんです。
日々心の中で懇願してる。人間に私の接客の手間をとらせてるのが申し訳なさすぎて、毎度辛い。ほんとコンビニとかドラッグストアとかスーパー、全部セルフレジにして。万引きとか絶対しないから。
あ、買い物してるときに毎回感じてることを言語化できたので、少しだけスッキリしました。