このブログ読む人なんていないからなーと思うので
さっき風呂場でぐるぐる考えていたことを書き殴ります。
これは自分語り。
書かないとまた同じことで悩んで、同じこと考えて、同じことを…の流れだから。
鳥頭だから忘れるから。忘れるから。
悩んでたことを書き表すと文学になるらしいね。
人が読むようには書いてない。矛盾。
最近これは真理なんじゃないかと思っている。
しにたい人と、まったくそうは考えない人がいる。前にも書いたっけ?書いてたらやばいね。鳥頭もいいとこだし意味が無いんだけど。
スッキリしたくて書いてるだけなんだけど。
話戻る。しにたいは元々の「性格」である。
しにたいしにたいといって、しんでしまう人はしんでしまう。
しにたいと訴えることはよくない、というか批判されがち?だと思うが…なんだろな
自分でもそう思ってるから、人にしにたいと相談できなくて
毎晩毎日何時間も悩んでる自分がここにいるんですけど。
検索しても検索しても解決策なんかなくて。
今までの齢まで生きてきたんだけど。
誰にも言えない。仲間も作れない。いつも傍観者決めてるだけ。
数年前、思った。
自分は絵を描くことが好きだった。絵を描いている時だけ生き生きしていた。
何もできないけど、絵を描けばほめられることが多かった。
他の絵の上手い人に嫉妬をすることももちろんあった。黒い感情が渦巻くこともあった。ぶっちゃけ今でもだ。
でも、自分の描く絵には満足がいった。
他に上手い人がいても、自分の絵が好きだった。
これは他のことには置き換えることができないほどの、大切な満足感だった。
こう表すと陳腐でうすっぺらくて仕方なくて、嫌いだと思ったが、唯一無二の至高だった。
ただ一つの、幸福だった。
絵を描こうとする中で、まぁ葛藤は常にあったんだけど。嫉妬しまくりだったんだけど。
人との差別化を図ろうと思って、ごみクソの自分が差別化に使えそうなことなどあるか…?「しにたい」ことじゃないか。
そう、「しにたい」を使おうと思っていた。でも、アイデアだけで題材には結局使わなかったんだけど。
しかし、使っていた。
しにたいを原動力に、絵を描いていた。
しにたくてたまらなかったから、その苦痛なことを考えなくて済むように、絵を描いた。
絵を描いてる間はハイなときもあったから。
しにたい自分の存在証明でもあった。息を殺して生きなければならない、クソカスの自分でも、絵を表せばそこに存在が現れた。
ダメだ、風呂場で考えてたこと思い出せない。別の文を生産して書いてしまう。このドアホ。
それもそれでいいかな。
ひらめいたことがあったのに思いだせない。
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自分が異端感はあったから、性格診断などをしまくっていた。
こういうやつ他にいるんでは?そういう型なんでは?って。
ADHDも調べていた。
まずっと悩んでた、どうなんだろうか、確定させてしまっていいのか。
結局行くことになる。
確定診断?が下りるクリニックではなかったから「そうらしいだろう」までしか出ないんだけど、ADHDだ。
ストラテラを飲んでいる。ちなみにおとといと昨日と今日は飲んでない。
から、こんなかんじなのかも。
ADHDと友達に言えない。説明の仕方もわからない。今日ゆうべきではなかろうかと悩んでいた。
でも、